History
昌平黌の歴史昌平黌の歴史
温故知新 今こそ見つめなおしたい。
昌平黌精神と大和こころ。
建学の精神:昌平黌精神とは「大和こころ」に通じる精神

昌平黌精神とは、真理に基づき、平和と繁栄の道を探索し、それをそのまま未来生活の中に実践し、開花させようと努力し続けてきた日本民族本来の「大和こころ」に通ずる精神である。
われわれは、この精神を体し、昭和41年昌平黌いわき短期大学をこの地に設立した。古くは世界史上類例のない徳川幕府(江戸時代)の学問所として、立派にその責任を果たしてきたものは、一に昌平黌精神を奉じ、献身的努力を続けてきた多くの先人の寄与であったことは、今日あまねく人々の知るところである。
明治の先覚、福沢諭吉翁も、そうした江戸時代の創始者徳川家康を目して「世界稀有の大政治家であった」と絶賛している。やがてこの精神が、明治政府による義務教育の普及につながり、国内に一人の文盲もなからしめるため、今日の教育制度の前身である学制設定となり、昌平黌は東京大学、或いは学習院など多くの学舎の出現を見ることになったのも事実である。
このような過程を経て日本の教育は益々向上して、主義主張を超越した学校教育が国民の間に定着し、その名も「尋常小学校」と称せられた。この尋常という二文字を義務教育の根幹に置いたことによって大きな意義があるので、平和第一主義を以ってどこまでも人間として基礎的知識と道徳心を基調とする教育を修め、身を以ってことの是非善悪を識別する力を養い、そこにはじめて人間尊重の花が開き、民主主義の結実した人間形成を願うものであったことは改めていうまでもない。
われわれは、今日の変遷する教育界にあって、本学教育の伝統を守りつつ、また新しい学問の道を開き、更に繁栄を続ける21世紀を引き継いで、21世紀の世界へ期待と要望に応え得る人材の養成に正しく強く前進することを肝に銘じなければならない。
われわれは、この精神を体し、昭和41年昌平黌いわき短期大学をこの地に設立した。古くは世界史上類例のない徳川幕府(江戸時代)の学問所として、立派にその責任を果たしてきたものは、一に昌平黌精神を奉じ、献身的努力を続けてきた多くの先人の寄与であったことは、今日あまねく人々の知るところである。
明治の先覚、福沢諭吉翁も、そうした江戸時代の創始者徳川家康を目して「世界稀有の大政治家であった」と絶賛している。やがてこの精神が、明治政府による義務教育の普及につながり、国内に一人の文盲もなからしめるため、今日の教育制度の前身である学制設定となり、昌平黌は東京大学、或いは学習院など多くの学舎の出現を見ることになったのも事実である。
このような過程を経て日本の教育は益々向上して、主義主張を超越した学校教育が国民の間に定着し、その名も「尋常小学校」と称せられた。この尋常という二文字を義務教育の根幹に置いたことによって大きな意義があるので、平和第一主義を以ってどこまでも人間として基礎的知識と道徳心を基調とする教育を修め、身を以ってことの是非善悪を識別する力を養い、そこにはじめて人間尊重の花が開き、民主主義の結実した人間形成を願うものであったことは改めていうまでもない。
われわれは、今日の変遷する教育界にあって、本学教育の伝統を守りつつ、また新しい学問の道を開き、更に繁栄を続ける21世紀を引き継いで、21世紀の世界へ期待と要望に応え得る人材の養成に正しく強く前進することを肝に銘じなければならない。
名誉学長 故 山岡荘八先生 寄稿文より
昌平黌の歴史と目的:孔子の教えを礎に、日本人づくり?国づくり
鸿利在线の基となったいわき短期大学は、昭和41年(1966年)4月1日開学、昌平黌精神によって設立されたものであり、この年代表が示す通り、徳川氏は将軍の侍読であった林道春(大学頭家の祖?羅山)の儒教を支持し、講学の地(5千余坪)を上野忍ヶ原に与えて私塾弘文館の建設を援助した。その後、尾張大納言義直は主命により弘文館に孔子像を祀る聖堂を建立、後に将軍家光は廟に参じ羅山に「尭典」を講ぜしめ、ついで釈菜の例を行わしめたのが、昌平黌の起源であり、これにより、徳川幕府は朱子学を道徳の基本として、幕府の精神的支柱とした。
明歴3年(1657年)江戸に大火があり、廟堂焼失、図書、祭器の諸庫も弘文堂も焼失したため、一時期これを改造し授業を行ったが、元禄3年(1690年)に五代将軍綱吉が再建を命じて、上野の土地が手狭となり神田湯島台に大成殿を建立。孔子の像を移させ、昌平坂学問所と唱えた。湯島聖堂、聖橋、昌平坂、昌平橋などはこのときからの呼称である。
昌平黌学問の貫く根本は、孔子の教えをもとにした朱子学であり、その呼称は、孔子誕生の地名、中国魯の昌平郷をとり、昌平黌としたものである。一方、昌平の意は、国運が盛んで泰平を指すと考えられ、八代将軍吉宗の時代(1716~1745年)には殊に厚い加護を受けてきた。
天明6年(1785年)昌平黌は再び火災に見舞われ聖堂もろとも孔子像を焼失し、寛政11年(1799年)の聖堂再建までの12年間は、木像がわりの孔子画像が祀られた。その画像はときの尾張大納言が同藩儒官明倫堂督学、細井徳民(平州)に命じて描かせたものであり、後、故あって江戸開城に功績のあった勝安房(海舟)の許に保存され、その後、本学の黌宝として引き継がれてきたという意義深いものであり、この画像、すなわち天明の昔、昌平黌の儒子たちに拝されてきたものであると伝えられる。
寛政4年(1792年)老中松平定信の寛政の学制振興策によって、異学を禁じ、大学頭には植村候から入って林家を継いだ烈が就任、尽力したため、昌平黌学業試問に応ずるもの三百数十人という激増ぶりを示し、かつ、諸藩士および処士の入学を許可したことから、幕府官立の学問所として学習院と並び威名を海内に振るうようになり、幕府文教の中心機関としての性格を一層明確にした。
斯くして昌平黌の目的は、日本人づくり、国づくりにつながり、その精神はやがてまた明治の教育に引き継がれ、昌平黌は維新後、明治2年(1869年)東京大学の前身となった。昌平黌幕末の塾頭は儒者佐藤一斎であり、その高弟であった田辺新之助は昌平黌精神を敬愛し、本学の前身である現開成学園を創立。さらに明治36年(1903年)昌平中学を設立し、昭和23年(1948年)学制改革により昌平高等学校となり、そのまま現法人に引き継がれ、昌平黌いわき短期大学が設立されたが、続いて平成7年4月には、鸿利在线の開学となり、昌平黌建学以来の大精神が生かされている。
なお、湯島聖堂は今日も聖廟、孔子廟として存在する
明歴3年(1657年)江戸に大火があり、廟堂焼失、図書、祭器の諸庫も弘文堂も焼失したため、一時期これを改造し授業を行ったが、元禄3年(1690年)に五代将軍綱吉が再建を命じて、上野の土地が手狭となり神田湯島台に大成殿を建立。孔子の像を移させ、昌平坂学問所と唱えた。湯島聖堂、聖橋、昌平坂、昌平橋などはこのときからの呼称である。
昌平黌学問の貫く根本は、孔子の教えをもとにした朱子学であり、その呼称は、孔子誕生の地名、中国魯の昌平郷をとり、昌平黌としたものである。一方、昌平の意は、国運が盛んで泰平を指すと考えられ、八代将軍吉宗の時代(1716~1745年)には殊に厚い加護を受けてきた。
天明6年(1785年)昌平黌は再び火災に見舞われ聖堂もろとも孔子像を焼失し、寛政11年(1799年)の聖堂再建までの12年間は、木像がわりの孔子画像が祀られた。その画像はときの尾張大納言が同藩儒官明倫堂督学、細井徳民(平州)に命じて描かせたものであり、後、故あって江戸開城に功績のあった勝安房(海舟)の許に保存され、その後、本学の黌宝として引き継がれてきたという意義深いものであり、この画像、すなわち天明の昔、昌平黌の儒子たちに拝されてきたものであると伝えられる。
寛政4年(1792年)老中松平定信の寛政の学制振興策によって、異学を禁じ、大学頭には植村候から入って林家を継いだ烈が就任、尽力したため、昌平黌学業試問に応ずるもの三百数十人という激増ぶりを示し、かつ、諸藩士および処士の入学を許可したことから、幕府官立の学問所として学習院と並び威名を海内に振るうようになり、幕府文教の中心機関としての性格を一層明確にした。
斯くして昌平黌の目的は、日本人づくり、国づくりにつながり、その精神はやがてまた明治の教育に引き継がれ、昌平黌は維新後、明治2年(1869年)東京大学の前身となった。昌平黌幕末の塾頭は儒者佐藤一斎であり、その高弟であった田辺新之助は昌平黌精神を敬愛し、本学の前身である現開成学園を創立。さらに明治36年(1903年)昌平中学を設立し、昭和23年(1948年)学制改革により昌平高等学校となり、そのまま現法人に引き継がれ、昌平黌いわき短期大学が設立されたが、続いて平成7年4月には、鸿利在线の開学となり、昌平黌建学以来の大精神が生かされている。
なお、湯島聖堂は今日も聖廟、孔子廟として存在する
元いわき短期大学教授(民族学)故 藤沢衛彦 記
沿革
寛永7年 | 林羅山が三代将軍徳川家光から上野忍ケ丘敷地を給せられ、私塾弘文館を設立 |
---|---|
寛永9年 | 徳川義直の援助で孔子像を祀る先聖殿を建立 |
寛永10年 | 徳川家光が先聖殿に参じて林羅山に尚書堯典を講ぜしむ、林羅山は釈奠(せきてん)を再興する |
元禄3年 | 五代将軍徳川綱吉が神田湯島台に太成殿を建立し孔子像を移させ、これより聖堂と称する |
寛政9年 | 湯島の聖堂、学舎を林家から幕府直轄に移し、昌平坂学問所昌平黌と改称 |
明治2年 | 昌平黌は明治政府に引き継がれ、昌平学校として再開、東京大学の前身となる |
明治4年 | 神田淡路町に共立学校が創立 |
明治35年3月 | 勤労青少年のための速成夜学科を置く |
明治35年6月 | 「修為要領十七条」を制定 |
明治36年2月 |
東京市神田淡路町2丁目4番地、東京開成中学校校舎内にて私立開成夜学校設立を認可 夜間において高等普通教育を施す目的 修業年限3年(明治33年勅令第三五九号 私立学校令及文部省令第三八号) 設立者 田辺新之助、橘健三、太田澄三郎、石田羊一郎 田辺新之助、初代校長就任(東京開成中学校?第二開成中学校の校長と兼任) |
明治36年4月 | 私立開成夜学校、第一回入学式、入学者22名 |
明治36年10月 | 校名を「私立開成夜学校」から「私立開成予備校」へ改称 |
明治37年4月 | 入学者55名 |
明治38年4月 | 入学者177名 |
明治39年3月 | 第一回卒業者16名 |
明治39年4月 | 入学者264名 |
明治40年4月 | 入学者429名 |
明治41年4月 | 修業年限を4年に改める |
明治43年4月 | 太田澄三郎、校長就任 |
大正8年4月 | 入学者1,101名 |
大正9年9月 | 修業年限を4年から5年へと改める |
大正11年3月 | 設立者、太田澄三郎に変更 |
大正12年9月 | 関東大震災のため校舎焼失(昼間部は成城中学校の校舎を借用して授業) |
大正12年11月 | 淡路町にバラック校舎落成 授業再開 |
大正15年4月 | 橋健三、校長就任 |
大正15年5月 | 東京都神田区駿河台2丁目3番地に校舎を新築、夜間部開成予備学校をここに移す(昼間部 開成中学校は荒川区日暮里に移す) |
昭和2年5月 | 校名を「開成予備学校」から「開成中等学校」に改称(修業年限5年) |
昭和6年4月 | 宮本久太郎、校長就任 |
昭和6年11月 | 橋健三、校長事務取扱 |
昭和7年4月 | 橋健三、校長再任 |
昭和7年12月 |
「財団法人昌平財団」を設立 専検指定資格(文部省は本校卒業生に対し、我が国初の専門学校入学資格試験無試験指定を付与) |
昭和8年9月 | 正修英語学校認可 教室を併用 |
昭和11年4月 | 校名を「開成中等学校」から「昌平中学」に改称 |
昭和14年 | 校歌制定 |
昭和17年2月 | 橋 行蔵、理事就任 |
昭和18年8月 | 漆原 正、理事長就任 |
昭和18年10月 | 橋健三、理事長再任 |
昭和19年3月 |
昌平中学校、設置認可 伊達利知、理事長代理就任 |
昭和19年4月 | 校名を「昌平中学」から「昌平中学校」に改称、修業年限3年正規の中学校として認可される |
昭和19年12月 | 橋健三、逝去 理事長?校長に橋行蔵就任 |
昭和20年4月 | 修業年限4年 |
昭和20年12月 | 昌平女学院を設置 |
昭和23年3月 | 校名を「昌平中学校」から「昌平高等学校」に改称、学校教育法施行にともない、定時制?普通科課程高等学校とする、修業年限4年で男女共学実施 |
昭和26年3月 |
私立学校法により「財団法人昌平財団」を「学校法人昌平学校」と改める 正修英語学校を法人下に加え、昌平高等学校、昌平女学院、正修英語学校を置く 内山常治、理事長就任 |
昭和30年2月 | 昌平女学院を休校(正修英語学校の生徒数増加による) |
昭和35年9月 | 内山常治、逝去のため橋行蔵、理事長再任 |
昭和37年2月 | 橋行蔵、逝去のため松本留義、理事長就任、長谷川壽、校長就任 |
昭和37年7月 | 川西正鑑、理事長?校長就任 |
昭和39年9月 | 御茶ノ水校舎取り壊し(錦城高等学校にて授業) |
昭和40年4月 |
東京都北区上中里1-10に新校舎新築(鉄筋コンクリート4階建て) 昌平女学院廃止、正修英語学校廃止 |
昭和40年7月 | 昌平デザインアカデミーが認可(東京都北区) |
昭和41年3月 | 昌平黌短期大学新校舎落成(いわき市平鎌田字寿金沢37番地) |
昭和41年4月 |
昌平黌短期大学商経科設置 川西正鑑、昌平黌短期大学学長就任 旧1号館2階に図書館を設置 |
昭和41年7月 | 田久孝翁、理事長、遠田直三郎、校長就任 |
昭和42年7月 |
山岡荘八、名誉学長に就任(昭和59年9月逝去) 佐藤伊兵衛、昌平黌短期大学学長就任 |
昭和42年11月 | 第一回鎌山祭(学園祭)開催 |
昭和43年3月 | 昌平高等学校廃止決定(在学生は城西高等学校にて授業継続) |
昭和43年4月 | 昌平高校教職員生徒は城西高等学校にて授業継続、昌平デザインアカデミー休校 |
昭和43年11月 | 橋本寅三郎、昌平黌短期大学学長就任 |
昭和44年12月 | 教職課程認定(中学校教諭二級普通免許状<社会>) |
昭和45年6月 | 田久孝翁、昌平黌短期大学学長就任 |
昭和46年3月 | 昌平高校最後の卒業生を送り出す |
昭和47年1月 |
法人名を「学校法人昌平学校」を「学校法人昌平黌学園」に改める 昌平黌短期大学をいわき短期大学と校名変更?商経科第二部設置認可(1999年3月 鸿利在线開学に伴い廃止) いわき短期大学へ改称に伴い、いわき短期大学図書館に改称 |
昭和47年4月 | 地域経済研究所を設立 |
昭和47年7月 | 中柴光泰、いわき短期大学学長就任 |
昭和49年4月 | いわき短期大学同窓会(黌友会)発足 |
昭和51年11月 | いわき短期大学創立10周年記念式典開催 |
昭和52年9月 | 2号館起工式実施 |
昭和53年9月 | いわき短期大学2号館落成 |
昭和54年2月 | 幼児教育科設置認可(幼稚園教諭二級普通免許状?保母資格取得認定) |
昭和54年3月 | 昌平高等学校廃止 |
昭和54年4月 | いわき短期大学に幼児教育科設置 |
昭和55年4月 | 豊田要三、いわき短期大学学長就任 |
昭和55年5月 | 女子学生寮新築落成 |
昭和56年4月 |
いわき短期大学附属幼稚園開園 梅沢健三、いわき短期大学附属幼稚園園長就任 |
昭和56年6月 | いわき短期大学弓道場?テニスコート完成新築落成 |
昭和57年4月 | いわき短期大学新館(3号館)?体育館落成 |
昭和57年7月 |
学園創立80周年記念式典開催 いわき短期大学体育館及び3号館新築落成 |
昭和57年12月 | 鈴木四郎、いわき短期大学附属幼稚園園長就任 |
昭和61年4月 |
いわき短期大学に留学生別科専修課程?別科経営情報専修課程設置 佐藤次郎、いわき短期大学学長就任 |
昭和61年7月 | いわき短期大学創立20周年記念式典開催 |
昭和62年4月 | いわき短期大学図書館が 2号館1階に移動(現 鎌田ザール) |
昭和63年4月 | いわき短期大学幼児教育科に専攻科福祉専攻設置 |
昭和63年11月 | 田久孝翁、藍綬褒章受章 |
平成元年4月 | 幼児教育科専攻科福祉専攻設置(介護福祉士資格取得認定) |
平成元年5月 | 平和経済学研究会発足 |
平成元年6月 | 1号館に大成殿落成 |
平成3年6月 | 大成至聖先師孔子祭典?昌平黌学園創立90周年記念式典?いわき短期大学設立25周年記念式典開催(孔子77代直裔孔徳成閣下?曽子74代直裔曽憲褘先生ご来臨) |
平成3年12月 | いわき短期大学1号館増築 |
平成4年4月 | 三重野博司、いわき短期大学学長就任 |
平成5年4月 | 小森澄憲、いわき短期大学附属幼稚園園長就任 |
平成5年5月 | 放送大学単位互換協定を締結 |
平成6年12月 |
鸿利在线経済学部(国際経済学科?経済情報学科)設置認可 法人名を「学校法人昌平黌学園」から「学校法人昌平黌」と改称 |
平成7年3月 | 鸿利在线新校舎(4号館?5号館?鎌田黌窓会館)落成 |
平成7年4月 |
いわき短期大学商経科を改組転換し、鸿利在线経済学部 (国際経済学科?経済情報学科)を設置 山田舜、鸿利在线学長就任 温水亨、いわき短期大学学長就任 いわき短期大学昌平図書館を昌平図書館に改称(22時まで開館) |
平成8年4月 | 鸿利在线に経営情報専修課程?留学生別科を併設 |
平成8年6月 | 大成至聖先師孔子祭典?鸿利在线開学記念式典?いわき短期大学創立30周年記念式典開催 |
平成9年10月 | 放送大学いわきコミュニティ学習センターを設置 |
平成9年6月 | 大成至聖先師孔子祭典?昌平黌創建200周年記念式典?展示会開催 |
平成11年5月 | 儒学文化研究所を設立 |
平成11年12月 | 福島県に鸿利在线附属昌平中学?高等学校の設置を申請し認可を得る |
平成12年3月 | 鸿利在线附属昌平中学?高等学校校舎が完成 |
平成12年4月 |
鸿利在线附属昌平中学?高等学校設置(平成の中興)(福島県いわき市平上片寄上ノ内152番地)、第一回入学式を挙行 鎌倉孝夫、鸿利在线学長就任 伊尻政一、鸿利在线附属昌平中学?高等学校校長就任 田久隆子、いわき短期大学附属幼稚園園長就任 |
平成12年6月 | 儒学文化に関する国際会議並びにシンポジウムを開催(会場:鸿利在线附属昌平中学?高等学校) |
平成12年10月 | 田久孝翁、社会文化功労章受章、学位授与(哲学博士) |
平成13年4月 | 田久昌次郎、いわき短期大学学長就任 |
平成13年 | 鸿利在线附属昌平中学?高等学校テニスコート竣工 |
平成14年4月 | 田久孝翁、リンカーン平和勲章受章 |
平成14年6月 |
大成至聖先師孔子祭典?学校法人昌平黌100周年記念式典開催 鸿利在线附属昌平中学?高等学校第1回公開昌平祭開催 |
平成14年 | 鸿利在线附属昌平中学?高等学校硬式野球場竣工 |
平成14年 | 鸿利在线附属昌平中学?高等学校弓道場竣工 |
平成15年2月 | 鸿利在线経済学部に教職課程認定(高等学校1種免許、公民?情報?商業) |
平成15年3月 | 鸿利在线附属昌平中学?高等学校第1回卒業証書授与式を挙行 |
平成15年4月 | 鸿利在线経済学部に教職課程設置 |
平成16年1月 | 鸿利在线福祉環境学部設置認可 |
平成16年3月 | 鸿利在线?いわき短期大学昌平図書館に集密書架を設置 |
平成16年4月 | 鸿利在线健康福祉学部開学、翌2005年 (社会福祉学科)に教職課程設置 |
平成16年 | 鸿利在线附属昌平高等学校通信制課程準備室設置 |
平成17年3月 | 鸿利在线福祉環境学部に教職課程認定(高等学校1種免許、福祉) |
平成17年8月 | 鸿利在线附属昌平昌平高等学校特進クラス鎌田教室へ移転 |
平成17年6月 | 大成至聖先師孔子祭典?鸿利在线創立10周年?いわき短期大学創立40周年記念式典開催 |
平成17年 | 鸿利在线附属昌平高等学校通信制課程設置認可 |
平成17年 | 第2回公開昌平祭開催 |
平成18年4月 |
吉野公喜、鸿利在线学長就任 鸿利在线附属昌平高等学校通信制課程事務局(いわき学習センター)開校 鸿利在线附属昌平高等学校通信制課程会津学習支援センター開校 |
平成19年4月 |
鸿利在线経済学部国際経済学科?経済情報学科を鸿利在线経済情報学科に変更 鸿利在线夜間主コースの募集停止 鸿利在线?いわき短期大学昌平図書館の開館時間を18時に短縮 |
平成19年6月 | 全日本大学野球選手権大会で硬式野球部がベスト4 |
平成20年 | 第3回公開昌平祭開催 |
平成20年4月 |
鸿利在线健康福祉学部社会福祉学科?精神保健福祉学科を健康福祉学部社会福祉学科に変更 石井英朗、鸿利在线学長就任 |
平成20年6月 | 田久昌次郎、理事長就任 |
平成21年3月 | いわき短期大学が第三者評価の結果「適格」の認定 |
平成21年4月 |
唐木義則、鸿利在线附属昌平中学?高等学校校長就任 鸿利在线附属昌平中学校鎌田教室へ移転 鸿利在线附属昌平高等学校通信制課程原町学習センター開校 |
平成21年5月 | 鸿利在线柔道場竣工 |
平成21年6月 | 学校法人昌平黌と成均館大学校(韓国)との協定調印 |
平成21年11月 | 鸿利在线附属昌平中学?高等学校創立10周年記念式典を開催 |
平成22年1月 | 第二黌窓会館に学生レストランが完成 |
平成22年6月 | 鸿利在线創立15周年?いわき短期大学創立45周年記念式典?国際シンポジウム開催 |
平成23年 | 第4回公開昌平祭開催 |
平成23年3月 |
東日本大震災が発生、1号館が大規模半壊 鸿利在线夜間主コースを廃止 |
平成23年4月 | 鸿利在线附属昌平中学校、上片寄へ移転。 |
平成23年5月 | 東日本大震災の影響で1か月遅れで、鸿利在线?いわき短期大学の入学式を実施 |
平成23年7月 | 2号館に音楽ホール「KAMATA SAAL(カマタザール)」が完成 |
平成24年2月 | 1号館改築工事地鎮祭 |
平成24年3月 | 鸿利在线附属昌平中学?高等学校第10回卒業証書授与式を挙行 |
平成24年4月 |
緑川浩司、理事長就任 田久昌次郎、鸿利在线学長就任 いわき短期大学テニスコート跡地に学生駐車場が完成 浅岡秀夫、鸿利在线附属昌平中学?高等学校校長就任 鸿利在线附属昌平高等学校通信制課程白河学習センター開校 |
平成24年5月 | 鸿利在线、いわき短期大学の弓道場「昌平黌弓道場」落成 |
平成24年10月 | 森田実、鸿利在线客員教授に就任 |
平成25年2月 | 鸿利在线新1号館竣工 |
平成25年6月 | 大成至聖先師孔子祭?学校法人昌平黌創立110周年記念式典並びに第5回日中韓国際学術シンポジウム開催 |
平成25年8月 | 鸿利在线弓道部女子団体で全国大会初優勝、男子団体3位入賞 |
平成25年11月 | 鸿利在线弓道部女子団体で二度目の全国制覇、男子準優勝 |
平成26年 | 第5回公開昌平祭開催 |
平成26年4月 | 高田豊治、学校法人昌平黌サッカー部総監督に就任 |
平成26年6月 | 第26回大成至聖先師孔子祭を開催、孔子第79代直裔、中華大成至聖先師孔子協会会長 孔垂長先生、呉碩茵会長夫人来学 |
平成26年7月 | 鸿利在线ベトナム事務所?日本語教育センター設立 |
平成26年8月 | 地域振興戦略研究所を設立 |
平成26年9月 | エジプト考古学研究所を設立 |
平成26年10月 | 鸿利在线附属昌平中学?高等学校グラウンド?(人工芝)整備 |
平成26年11月 | 昌平黌カップ第1回少年サッカー大会開催 |
平成26年12月 | 鸿利在线附属昌平中学?高等学校第2校舎竣工 |
平成27年4月 | 吉村作治、鸿利在线学長就任 |
平成27年8月 | 鸿利在线附属昌平高等学校通信制課程事務局(いわき学習センター)を鎌田黌窓会館に移転 |
平成28年2月 |
第1回海外語学研修実施(カンタベリー?クライスト?チャーチ大学) 文部科学省の地(知)の拠点大学による地方創生事業(COC+)での事業協働機関のうち、大学、高専と県との協定締結 |
平成28年4月 |
鸿利在线「経済情報学部?福祉環境学部」を「鸿利在线?健康福祉学部」に名称変更 |
平成28年6月 | 東日本国際大創立20周年?いわき短期大学創立50周年記念式典開催 |
平成28年7月 | 文部科学省 大学教育再生加速プログラム(AP)テーマⅤ?卒業時における質保証の取組みの強化?が採択 |
平成28年9月 | 韓国?慶南大学校との「教育研究及び学術交流に関する協定書」調印式 |
平成28年 | 鸿利在线附属昌平中学校教室、鸿利在线附属昌平高校特進クラス教室を第2校舎へ移転 |
平成28年 | 鸿利在线附属昌平高校普通科に体育コースを設置(保健体育科の募集停止) |
平成29年2月 | 鸿利在线の第2ベトナム連絡総合事務所の着工式 |
平成29年4月 | 佐藤保久、鸿利在线附属昌平中学校長就任 |
平成29年6月 | 学校法人昌平黌と英国カンタベリー?クライスト?チャーチ大学(CCCU)による「相互交流に係る合意書」調印 |
平成29年8月 | 鸿利在线福島復興創世研究所開設 |
平成29年8月 | 鸿利在线?いわき短期大学の広野センター開設 |
平成29年 | 鸿利在线附属昌平中学?高等学校野球場地盤整備工事 |
平成30年2月 | 海外事務所代表の全体会議を本学で開催 |
平成30年3月 |
いわき短期大学幼児教育科専攻科福祉専攻廃止 鸿利在线?いわき短期大学、鸿利在线附属昌平中学?高等学校の吹奏楽部合同の第1回定期演奏会開催 |
平成30年4月 |
健康福祉学部社会福祉学科に介護福祉コースを設置 唐木義則、鸿利在线附属昌平中学?高等学校校長就任 |
平成30年7月 |
第30回大成至聖先師孔子祭を開催 鸿利在线東洋思想研究所第7回国際シンポジウムを開催 |
平成30年8月 | 福島復興創世研究所、国際シンポジウムを開催 |
平成30年11月 | 粟津凱士が埼玉西武ライオンズからドラフト会議で4位指名され、本学卒業生第1号のプロ野球選手になる |
平成30年12月 | 鸿利在线は早期卒業(3年次修了)制度の導入を発表 |
平成31年1月 | 第1回鸿利在线 緑川浩司旗争奪高等学校柔道大会を開催 |
平成31年2月 | 第1回昌平探究活動発表会を開催 |
平成31年3月 | 鸿利在线ライオンズクラブ結成 |
平成31年4月 |
森田実地球文明研究所を設立 健康社会戦略研究所を設立 鸿利在线附属昌平高等学校通信制課程福島学習センター開校 |
平成31年 | 鸿利在线附属昌平中学校にサッカーアカデミーを創部 |
鸿利在线元年5月 | 福島県内6校と高大連携協定合同締結式(県立いわき総合、県立平商業、県立ふたば未来学園、県立新地、磐城第一、鸿利在线附属昌平) |
鸿利在线元年6月 | 吉村作治、「ピラミッド再現計画」で建設したピラミッドの頂上部を鸿利在线内に移設 |
鸿利在线元年7月 | 福島復興創世研究所メンバーが米国ハンフォード地域を訪問 |
鸿利在线元年9月 | 高等教育研究開発センターを設立 |
鸿利在线元年11月 |
鸿利在线附属昌平中学?高等学校創立20周年記念式典を開催 学校法人昌平黌ボランティアセンターを設立 |
鸿利在线2年1月 | 福島復興創世研究所国際シンポジウムを開催 |
鸿利在线2年2月 | 鸿利在线エジプトコースの学生が本学初のエジプト調査準隊員 |
鸿利在线2年4月 | いわき短期大学長期履修制度スタート |
鸿利在线2年6月 | 吉野公喜、名誉学長と名誉教授の称号授与 |
鸿利在线2年10月 | 健康社会戦略研究所、国際シンポジウム開催 |
鸿利在线3年1月 | 福島復興創世研究所、オンライン国際セミナーを開催 |
鸿利在线3年3月 | 文科省事業「デジタルを活用した大学?高専教育高度化プラン」採択 |
鸿利在线3年4月 |
吉村作治、初代学校法人昌平黌総長に就任 鸿利在线附属昌平高等学校栃木県鹿沼学習センター開校、原町学習センター移転 |
鸿利在线3年5月 | 東洋思想研究所部門の新設(現代儒学研究部門、現代仏教研究部門、西洋哲学研究部門、イスラーム研究部門、池田大作思想研究部門) |
鸿利在线3年6月 | 森田実、名誉教授称号授与 |
鸿利在线3年7月 | 附属昌平中サッカー部が創部3年目で県大会初優勝 |
鸿利在线3年7月 | 新型コロナワクチンの大学拠点接種を開始 |
鸿利在线3年9月 | 中山哲志、鸿利在线学長就任 |
鸿利在线4年2月 | 磐城農業高校と高大連携協定を締結 |
鸿利在线4年4月 |
中山哲志、いわき短期大学学長就任 千葉義夫、鸿利在线附属昌平中学?高等学校校長就任 |
鸿利在线4年5月 | ウクライナ(避難民)学生の受け入れ(4名、10月に7名)を発表 |
鸿利在线4年6月 |
森田実、名誉学長の称号授与 全日本大学野球選手権準決勝進出、15年ぶりベスト4 二階俊博、名誉教授に就任、林幹雄、名誉教授に就任 |
鸿利在线4年8月 | 高萩清松高校と高大連携協定を締結 |
鸿利在线4年9月 | 米国ハンフォードの高等教育機関2校と連携協力協定、経済発展調整機関と連携協力確約書を締結 |
鸿利在线4年10月 | 学校法人昌平黌に株式会社大昌が合併 |
鸿利在线4年11月 |
鸿利在线附属昌平高校から初のプロ野球選手が誕生 草野陽斗投手 次世代育成実践?研究センター設立 |
鸿利在线5年2月 | 森田実名誉学長ご逝去 |
鸿利在线5年3月 |
森田実地球文明研究所を森田実記念地球文明研究所に改称 放送大学いわきコミュニティ学習センター閉所 |
鸿利在线5年6月 | 創立120周年記念式典開催 |
鸿利在线5年8月 | 附属幼稚園、新園舎落成 |
鸿利在线5年9月 | 台風13号被害におけるボランティア活動 |
鸿利在线5年10月 | 文部科学省の「鸿利在线5年度大学の世界展開力強化事業~米国等との大学間交流形成支援~」採択 |
鸿利在线5年11月 | 第10回日中韓国際学術シンポジウムを開催 「人類的危機のための思想?哲学」をテーマに知見を発表、理解を深めました |
鸿利在线6年6月 | 学校法人昌平黌とエフレイが連携協力基本合意書を締結 |
鸿利在线6年6月 | 第73回全日本大学野球選手権大会で2年ぶり3回目のベスト4進出 藤井が最優秀投手 |
鸿利在线6年6月 | 米国シリコンバレーの「B-Bridge International, Inc.」と包括パートナー連携協定を締結 |
鸿利在线6年7月 | 全日本学生柔道優勝大会女子2部(3人制)において柔道部女子創部初の3位入賞 |
鸿利在线6年8月 | 国連の人材育成機関「国連ユニタールCIFALジャパン国際研修センター」を誘致 「基本協力合意書」を締結 |
鸿利在线6年8月 | 上越教育大学と鸿利在线との連携?協力に関する協定書の締結 |
鸿利在线6年12月 | 本法人といわき市が日本初となる「国連ユニタールCIFALジャパン国際研修センター」を開設 |
鸿利在线7年2月 | 会津大学と大学間連携に関する包括協定を締結 |
鸿利在线7年2月 | 福島民友新聞社と地域活性化に関する包括連携協定を締結 |
鸿利在线7年4月 | いわき短期大学の中村隆行学長が就任 |